夏雪式のブログ

転生したら世界がカレーだったからアウトドアする。訳がわからないが取り敢えず鶏肉を焼く

ノスタル爺

小学6年の頃だった。

当時、うちにはおじさんから借りてきたラジカセがあった。

ラジカセはやたらでかく、タンパ放送とかも聞ける奴で

妙な外国語(今思えば朝鮮半島からの電波)放送なんか聞けた。

そのころのうちは2部屋の安アパートで、

居間と和室(家族全員川の字で寝る寝室兼じうと弟の勉強部屋)があった。

はっきり覚えていないが、和室でラジオを聞いていた。

夕方で部屋も薄暗く、照明を付けた居間からの明かりが

電気も付けていない和室に漏れていた。

トイレから和室に戻った時

ラジオからピアノのメロディーが流れていた。

女の人のコーラスが続く。

とても綺麗な旋律で、じうは釘付けになった。

英語の曲で、何を言ってるのかさっぱり判らなかったけど

所々英単語は拾えたし、とても綺麗なハーモニーと

もの悲しく、そして力強いメロディー。

えぶりでいゆーしんぐわんすもあー

背筋がぞくぞくっと来た。

何となく誰かを励ましているというのは

ニュアンス的に判った。

とらーいわんすもあー

らいく○○△

しんぐあにゅーそんぐ

ちきちーたー

とにかく気づいたら涙が出ていた。

多分なんかいろんな物語を一瞬で想像したんだろう。

その歌がアバのチキチータだと知ったのは数日後のオンエアの時だった。

確かうちの親父が入院して亡くなったのがその少し後のはず。

あれからもう約27年・・・

いまではすっかりその時のじうと同じ歳の子がいても

不思議じゃないオヤジになってる。

今でもこの曲を聴くとこみ上げてくる物がある。

でもそれはあの時こみ上げてきた物とはまた別な物だろう。

もう戻れないあの頃の風景、色々な想いが更に混ざっている。

多分純粋に何かを感じてた小さい俺、

教えてやるよ、今でも俺この曲で感動するんだよ。

感傷なのかも知れないけどね。

気づいたらいつの間にかこんな遠くまで来ていた。

でもどうやってもそこには戻れないみたいだし。

曲を聴くたびにその時の風景が目に浮かぶ。

そして無性に寂しくなって

無性にやりきれなくなって

家族みんながそろってる風景が切なくて

その風景が見えているのに届かない

一方通行のもどかしさを感じて

そしてそんな感情がぐるっと一巡して

今の家族と生活にたどり着いて、前へ進むんだと。

さあがんばろうと思うんだよ。

シングアニューソング

だな。