夏雪式のブログ

転生したら世界がカレーだったからアウトドアする。訳がわからないが取り敢えず鶏肉を焼く

なんだかぶるー

今日久しぶりに宇多田の

「誰かの願いが叶う頃」を聞いてみた。

歌詞的にはすごいいい詩だと思うんだけどもなぁ。

なんか色々国際問題多発の今日この頃だけども。

まあ、北●鮮は別としてだね(笑)

あそこは個人のスタンスを守るためにしか

動いていない国だし。

まあ、中●も抗日やってるが

いとこの説によると

儒教の影響もあるんではないかとのこと。

儒教って

元は「立派な人は力を持てる。」

という奴で、それが「権力者だから立派だ」に

成り下がってしまっているというのがいとこの説。

年長者の言うことは聞け。

偉い人のメンツをつぶすな。

まあ、簡単に言うとそういうこと。

日本にも入ってきて形を変えて根付いているけどね。

これはもう権力者の都合の良い宗教(?)で

権力者だから立派です。

立派な人のメンツをつぶしてはいけません。

それから来ているんじゃないかというのが

いとこの説なんだが。

まあ、ちまたで言われている様に

貧富の差による国民の不満を

逸らすために日本をスケープゴート

している、先導している奴がいるって言うのが

本当のところなんだろうけども(^_^;)

まあ、世界の中心は中国であるという

中華思想なんてここでは別にどうでも良いんだけど。

幸せを手に入れる人がいれば

不幸になる人がいる。

日本で言うところの幸せは

他の国の幸せではない。

ぼんやりとはわかっていても

それをはっきりと詩に、歌詞にされたのは

これが始めてではないかと。

映画キャシャーンの曲として

作られたからってのもあるだろうけど(笑)

幸せって何だろう。

「自分の心一つだ」

なんてあいだみつおは言うけども。

自分の幸せを選ぶことにより

誰かが不幸になる。

なんて、なんて悲しい現実なんだろう。

端から見て不幸な状況に自分をおいて

それが幸せなんだと思えば

確かに幸せなのかもしれない。

でもそれは自分だけが幸せであって

やはり誰かが犠牲になっている。

不幸になっている人がいるんだ。

その人も不幸は幸せだと思えればいい。

現実問題、それができるのは宗教だけだろう。

でも、宗教って麻酔薬(いとこの説)でしかない。

じう的には宗教ってのは一般生活を送る上で

つらいことを楽に考えるための

言葉のアヤでしかない。

「そう考えれば楽になれる」

それが宗教の基本だと。

だから「信じれば救われる」のだ。

たとえば 

誰かが死んだ。

でも「あの世」ってのがあって

そこで幸せに暮らしている

そう思えば悲しみは薄れるかもしれない。

あの世があるってのを信じれば

「救われる」

それが宗教。

たとえば

何か不幸なことが立て続けに起こった。

なんで自分だけこんなに不幸なんだ

と。

前世で悪いことをしたからだ。

神の試練だ。

と、原因をほかに持っていく。

本来は原因なんて無い。

もしくは

「結果」は今までの流れからしか出てこない。

でもそう考えれば乗り切れる。

それが宗教。

それ以上でもそれ以下でもない。

世の中には宗教に頼らなくても

自分の力でその答えを導き出せる人がいる。

でも大体の人は何かを求めてしまう。

幸せになるために。

幸せになるってことは

誰かを不幸にしているなんて

みじんも思わずに・・・

みんな幸せになれればいいのに。

宇多田は歌詞の最後で

「みんなの願いは同時には叶わない」

そう締めている。

喉元にナイフを突き刺される位

板野のが現実。

何かを守るために

誰かを強く傷つける。

それにより

「幸せ」を維持できる。

麻酔がなければやってられない。

それが現実。

でも「麻酔」は使いたくない。

痛みは痛みのまま受け入れよう。

「麻酔」は「心」を麻痺させる。

痛みを痛みと感じられないと

人間じゃなくなってしまうような気がする。

自分が痛いときは相手も痛いのだ。 がんばれニンゲン